PROSIT!!

しがない小説家志望による書評めいたもの、小説構想及び文体研究等。

私が自殺を考えていた頃の話

日本人の過半数は自殺を考えたことがあるという記述を何かで見た気がします。


意中の人に振られたとか、仕事でとんでもないミスをやらかしたとか、人生に意味を見いだせない等の理由で発作的でそれを考えることも、自殺に係る綿密な計画を立てて、実行に移す確かな意志を持っている状態も、どちらも客観的に見れば「自殺を考えている」状態と言えるでしょう。

その段階差が見えてこないがゆえに「自殺を考えたことがある」という状態だけでは何の参考にもならない気がします。


私はというと、あと実行場所の選定をして首を吊れば死ねるくらいには、それを考えたことがあります。

書籍等で自殺に関する知識を深め、首吊り用のロープを買い、遺書を書き、身辺を整理することは済ませておりましたので。


昨今はAmazonでも自殺に適したロープが売っており、この商品を買った人はこの商品も買っています!といったノリで首吊り用のイスなども親切に勧めてくれる時代です。みんなAmazonで買ってるんですね〜。本当に便利な世の中ですよ。


私が自殺をしようと思った理由は、自分がどうしようもなく惨めだったからです。

今となっては笑い話にしていますが、私には引きこもり経験があります。引きこもりは本当に楽です。しかし、楽なことがとても苦しいのです。

同年代の人たちが学業や仕事に精を出し、物凄い速さで前に進んでいる中、自分だけがその場での足踏みを強いられている状態、端的にいって地獄です。

毎日のように思うことは「生きていてごめんなさい」でした。社会にも親戚にも家族にも、私はなんの貢献も出来ないばかりか、迷惑ばかりかける始末。死ぬことが最大の貢献だと当時は信じて疑いませんでした。


自殺を踏み止まった最大の理由は家族に自殺の計画がバレ露見してしまったからです。


私の母には掃除という大義名分で、私の部屋のAVやエロ本を漁る癖がありました。

そんな母が私の部屋にある怪しげなダンボール箱を発見し、好奇心とともにそれを開けてみたのでしょう。それは私が自殺関連グッズ一式が入れておいたダンボール箱だったわけです。

母は遺書を私の机の上に破り捨てて置いておくといった方法で抗議をしたしました。それだけで私に対して何も言わず、いつも通り接してくるのが死ぬほど怖かったです。


どうにもやるせなかった私は母を呼び出し、事の真相を白状するに至ります。

母はただ話を聞いてくれました。しかも、どうしても私の苦しみを除く方法が死ぬ以外にないのなら、私の暴挙を止められないと言うのです。息子が苦しむのは不憫で仕方なかったのでしょう。もっとも自殺以外の方法を最大限に模索してほしいとも言っておりましたが。


その日以降、私は死ぬに死ねなくなりました。コソコソとバレないよう、死ぬ準備を進めていた自分がとても恥ずかしくなったからです。

もっと早く話しておけば良かった、どうして自分一人で解決しようと思っていたのか、そんなことを考えていた気がします。


かなり雑ではありますが、何やかんやありまして、私は就職して社会人になりました。現在はその4年目にあたります。

それが良かったのか、悪かったのか、現在もよくわかりませんが、少なくともそういうことを考えることができるのは、生きているからにほかなりません。

こういった駄文を書ける程度には、しぶとく生き延びてます。


そして、今後はもう自殺は考えないと思います。

根拠はありませんが、そういう確信めいたものが、私の内で確かに輝いている、そんな気がするのです。